引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1611918619/
1: すらいむ ★ ID:CAP
1959年にソ連領ウラル山脈北部で男女9名が死体で発見された「ディアトロフ峠事件」は、争った形跡がないにも関わらず目や舌が欠けた遺体が発見されたことから怪奇事件として話題を呼びました。
同事件は長らく未解決事件として扱われてきましたが、事件発生から60年以上が経過した2021年1月28日、真っ先に原因として疑われながらもさまざまな理由から否定された「雪崩原因説」が実は正しかったという研究結果が発表されました。
(中略)
事件の発端は1959年1月、スヴェルドロフスク州内のソ連領ウラル山脈北部でイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ氏ら10人が雪山登山に向かったことでした。
イーゴリ氏らはいずれもソ連の雪山登山に関する公認資格であるグレード2を有し、300km以上の縦走経験を持つものだけが受験資格を有する最高ランク・グレード3の受験を目前に控えた高段者でした。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
Gigazine 2021年01月29日 20時00分
https://gigazine.net/news/20210129-dyatlov-pass-incident-scientific-explanation/
ディアトロフ峠事件
ディアトロフ峠事件とは、1959年2月2日の夜、当時のソ連領ウラル山脈北部で雪山登山をしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件である。
ディアトロフ峠事件 Wikipediaより
事件は、ホラート・シャフイル山(Kholat Syakhl マンシ語で「死の山」の意)の東斜面で起こった。事件があった峠は一行のリーダーであったイーゴリ・ディアトロフ(ディヤトロフ、ジャートロフ、ジャトロフ)の名前から、ディアトロフ峠(ジャートロフ峠、ジャトロフ峠)と呼ばれるようになった。
事件発生まで
一行は男性8名女性2名からなり、スヴェルドロフスク州内のウラル山脈北部においてスキーでのトレッキングを計画していた。グループの多くはウラル科学技術学校、現在のウラル工科大学の学生か卒業生だった。
一行の最終目的地は、事件発生現場から北に約10キロのオトルテン山に設定されていた。そのルートは、事件当時の季節においては踏破難易度がきわめて高いと推定されたが、一行の全員が長距離スキー旅行や山岳遠征の経験を有しており、この探検計画に表立って反対するものはいなかった。
1月25日
スヴェルドロフスク州北部の中心地イヴデリに一行の乗った列車が到着した。彼らはトラックをチャーターしてさらに奥地に入り、イヴデリから約80キロ北方にある最後の有人集落、ヴィジャイに到着。そして1月27日、いよいよヴィジャイからオトルテン山へ向け出発した。しかし翌日、ユーリー・ユーディンが持病のリウマチの悪化から離脱、一行は9人になった。ユーディンと別れたあと、生前の一行と遭遇した人間は現在に至るまで見つかっていない。ここから先の一行の行動は、最後のキャンプ地で発見された日記やカメラに撮影された写真などを材料に推定されたものである。
1月31日
未開の原生林を北西方向に進んできた一行はオトルテン山麓に到達し、本格的な登山準備に入る一方で、下山までに必要と思われる食料や物資を取り分け、余剰分は帰路に備えて残置した。翌2月1日、一行はオトルテン山へ続く渓谷へと分け入った。適した場所で渓谷を北に越え、そこでキャンプを張ろうとしていたようだが、悪天候と吹雪による視界の減少によって方向を見失い、西に道を逸れてオトルテン山の南側にあるホラート・シャフイル山へ登り始めてしまった。彼らはやがて誤りに気づいたが、1.5キロほど下方の森林地帯に入って風雪を凌ぐのではなく、何の遮蔽物もない山の斜面にキャンプを設営することにした。木々の中でのキャンプ設営は容易だが、難ルートを踏破しトレッキング第3級の条件を満たす斜面での設営に決めたともされている。
たった1人の生存者であるユーリー・ユーディンは、「ディアトロフは、すでに登った地点から降りることを嫌ったか、この際山の斜面でのキャンプ経験を積むことに決めたのではないか」と述べている。
捜索と発見
一行が登山を終えてヴィジャイに戻り次第、ディアトロフが速やかに彼のスポーツクラブ宛に電報を送ることになっており、おそらく2月12日までには電報が送られてくるだろうと予想されていた。しかし事前にディアトロフがユーディンに、もう少し遠征が長引くかもしれないと話していたこともあり、2月12日が過ぎて連絡がなかったにもかかわらず、誰もこのことに特に反応しなかった。こうした遠征では数日の遅れはつきものだったためである。2月20日になってようやく、一行の親族たちの要請で、ウラル科学技術学校はボランティアの学生や教師からなる最初の救助隊を送った。その後軍と警察が腰を上げ、救助活動はヘリコプターや航空機を投入した大規模なものとなった。(以下略)
あれ?
カルマン渦列、それに伴い発生する超低周波音が原因であることが結論だったはずだけど???
俺も武田鉄矢のまな板で聞いた。
ディアトロフ峠事件
事件を巡る議論 より抜粋
ディアトロフ峠事件 Wikipediaより
アメリカのドキュメンタリー映画監督ドニー・アイカーは著作『死に山』において、現場のドーム状かつ左右対称の地形はヘアピン渦(カルマン渦)現象と呼ばれる特異な気象現象が起こるには理想的な環境であり、繰り返し起こった竜巻による強風と低周波音に晒されて一行がパニックに陥りキャンプを飛び出し、凍死や転落死に至ったのではないかと推測している。
事件現場の近くには核実験場があるが、核ミサイルによる被ばくなら通常の2倍程度の放射線量では済まず、その程度の量なら大気汚染でもあり得ること(実験場から放射線が届いた可能性も)、また日焼けについても長時間雪原で日光に晒されていれば起こり得るとしている。同著にて、犠牲者の眼球や舌の喪失は、野生動物による捕食や、水に浸かっていたことによるバクテリアに起因するものだと推測されていた。
40: 名無しのひみつ ID:DbTWQO4P
あり得ない事もないというか、現場の山が左右対称で正面から強い風受けたら、超低周波が都合よく起こるかは置いといてカルマン渦は発生し得るよね。
実際にあの辺に住む部族には度々聴こえる山鳴りのような奇怪な音をなんか怖い存在として昔から言い伝えてるいうて聞いたけども何族やったっけ・・・
それはいいとしてただ超低周波が原因としたら舌を抜かれた遺体と高い放射線を発してたという衣服の説明がつかないような・・・
助かった者も錯乱状態に陥り低体温症による矛盾脱衣を起こし凍死。遺体は野生動物に荒らされ目や舌等が損壊。事故後すぐ雪が降り積もってしまい雪崩の痕跡が無くなり捜査を混乱させた。 納得
事件後降った雪を被っていただけでテントはほぼそのまま残されていた。
ガン無視
放射線は自然界平均のたったの2倍。こんなもんそこら辺でもある。
おかしいのは遭難救助に放射線測定器を持っていったこと。あの辺りに原子力関連の研究施設があったのは間違いないだろう。それ以外は不自然な点は無い
調べても矛盾脱衣にしか触れてない所が多いんだが、心理的な理由が主なんだろうが、終末期の孤独感が原因なのかね。
素足などでみんなが緊急脱出したが、かなりふぷいていて、そのまま並んで凍死
どこだ何を学ぶと、ビバークがピパークになるん?
そういう発音をする言語
テントから出た後しばらくは活動してた形跡があるし雪崩が直接の原因とは言い難いわな
おそらくパニックになったきっかけは誰かが低体温で発狂したんだろう。薄着で口から泡を吹いて死んでたメンバーが最有力候補。手足や頭部に不可解な傷があるのも暴れた結果かもしれない
23: 名無しのひみつ ID:kFWXFTNL
しかも放射能に関しては何ら言及されていない。なのでギガジンの「「雪崩原因説」が実は正しかった」という表現は不正確。
目や舌や口の粘膜が壊れていたのは凍傷だ。
放射能=学生が実験で扱っていた
内側から=雪崩
服装=低体温省による意識障害
アンビリバボーは正しかった
ディアトロフ峠事件についてはこちらにも
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