引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1604952633/


1: 名無しさん@おーぷん ID:C2g
熊を目の前にした人間なんて武器無しでは無力だね…




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2: 名無しさん@おーぷん ID:9qF
なお生き残った少年はその後猟師になり生涯をかけてクマを殺し続けた模様

4: 名無しさん@おーぷん ID:C2g
>>2
そうなんだ?
もう二度と同じ犠牲者を出すまいと思ったんだろうね

5: 名無しさん@おーぷん ID:MA6
100年前の事件なのにWikipediaが詳しすぎるの謎
あれ絶対盛りまくってるやろ

6: 名無しさん@おーぷん ID:C2g
>>5
当時の事件の生存者はもうこの世にいないだろうけど、ものの20~30年前まで生きてて語り継がれてるだろうからそれ程盛られずリアルな状況に近いと思うけど

8: 名無しさん@おーぷん ID:Wrc
>>6
そもそも事件の生き残りに取材して作った資料なり小説残ってるから内容はかなりリアルやぞ

9: 名無しさん@おーぷん ID:C2g
>>8
再現ドラマもあるけどリアルだなと感じて疑う余地も無かったよw

三毛別羆事件


三毛別羆事件(さんけべつヒグマじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。

三毛別事件や六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。

エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。
事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事態は終息した。


事件の経緯

事件の現場となった北海道三毛別六線沢は、日本海の沿岸から内陸へ30kmほど入った地区である。地名の「三毛別」は、アイヌ語で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」に由来する。
なお、六線沢の住民は東北などから移住してきた人々で、元々住んでいた人はいない。


【池田家の騒動】

1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。
飼い馬が驚いて暴れたため、そのときの被害は保存食のとうもろこしに留まった。

村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このような野生動物の襲来は珍しいものではなかったが、主人である池田富蔵(いけだ とみぞう)はぬかるみに残った足跡の大きさ(約30cm)に懸念を持った。

11月20日、ふたたびヒグマが現れた。
馬への被害を避けようと、富蔵は在所と隣村から2人のマタギを呼び、3人で待ち伏せることにした。

30日、三度現れたヒグマに撃ちかけたが、仕留めるには至らなかった。
その夜、長男・富吉 (とみきち)や妻に留守を頼み、次男・亀次郎(かめじろう・当時18歳)を加えた4人で鬼鹿山方向へ続く足跡を追い血痕を確認したものの、地吹雪がひどくなりそれ以上の追撃を断念した。

マタギたちは、件のヒグマは「穴持たず」という、何らかの理由により冬眠し損ねたクマであると語った。
さらに足跡の巨大さから「このクマはあまりの巨体のため、自分の身に合う越冬穴を見つけられなかったのではないか」と推測し、「穴持たず」となったクマは非常に凶暴であることを付け加えた。


【明景家の惨劇】

(中略)

ヤヨは屋外へ逃げようとしたが、恐怖のためにすがりついてきた勇次郎に足元を取られてよろけてしまう。

そこへヒグマが襲いかかり、背負っていた梅吉に噛みついたあと、3人を手元に引きずり込んでヤヨの頭部をかじった。

だが、直後にヒグマは逃げようと戸口に走っていく要吉に気を取られて母子を離したため、ヤヨはこの隙に勇次郎と梅吉を連れて脱出した。

追われた要吉は物陰に隠れようとしたが、ヒグマの牙を腰のあたりに受けた。
要吉の悲鳴にヒグマは再度攻撃目標を変え、7人が取り残されている屋内に眼を向けた。

ヒグマは金蔵と春義を一撃で撲殺し、さらに巌に噛みついた。

このとき、野菜置き場に隠れていたタケがむしろから顔を出してしまい、それに気づいたヒグマは彼女にも襲いかかった。

居間に引きずり出されたタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた。

(以下略)

三毛別羆事件  Wikipediaより

10: 名無しさん@おーぷん ID:Wrc
アンビリバボーの再現ドラマはかなり忠実
流石に妊婦の腹食い破るシーンは軽く触れらる程度やったけどゴールデンタイムに人の骨噛み砕く音のシーン入れるとかかなり責めてたわ



11: 名無しさん@おーぷん ID:4FN
若い好奇心はあっても臆病なツキノワグマ相手してると勘違いしやすいけど
ヒグマに素人の人間が勝つとかマシンガン持っても無理やわ

12: 名無しさん@おーぷん ID:H6E
人型のピクトグラムを使って解説してたゆっくり動画あったけど
ドラマ再現と違って坦々と解説してたぶん別の怖さがマシてたな

13: 名無しさん@おーぷん ID:p2k
武器があれば勝ってたとかいう風潮

14: 名無しさん@おーぷん ID:hlR
大学生の登山グループが襲われた話もあったよな

15: 名無しさん@おーぷん ID:FaP
>>14
福岡大学ワンゲル部

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件


福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は1970年(昭和45年)7月に北海道静内郡静内町(現:日高郡新ひだか町静内高見)の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。

若い雌のヒグマが登山中の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(のちにワンダーフォーゲル部へ昇格)会員を襲撃し、3名の死者を出した。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件、福岡大学ワンゲル部員日高山系遭難事件とも呼ばれる。

事件の経緯

【計画】

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会所属の学生A(リーダー20歳)、B(サブリーダー22歳)、C(19歳)、D(19歳)、E(18歳)の5人は1970年7月12日9時に列車で博多駅を出発し、14日に新得駅へ到着した。

14時半に芽室岳へ入山。
そのまま芽室岳からペテガリ岳へ日高山脈を縦走する計画だった。


【予兆】

25日、中間地点であるカムイエクウチカウシ山(標高1,979m)の九ノ沢カールでテントを張ったところ、ヒグマが現れた。

ヒグマがいない九州から来た彼らは恐れることなく様子を見ていたが、ヒグマが荷物をあさりだしたため音を立てて追い払い荷物を取り返した。

しかしその夜、再びヒグマが現れテントに穴を開けた。
身の危険を感じた彼らは交代で見張りを立てたが、その後は現れなかった。

26日の早朝、ふたたびヒグマが現れテントを倒した。
Aの指示でBとEが救助を呼ぶため下山を始めた。

その途中で北海学園大学のグループや鳥取大学のグループに会ったので救助要請の伝言をし、BとEは他の3人を助けるため山中へ戻った。


【ヒグマの襲撃】

BとEは昼ごろに合流し、5人でテントを修繕した。

16時ごろ、寝ようとしていた彼らのもとにヒグマが現れ居座った。

彼らは鳥取大学のテントへ避難するため、九ノ沢カールを出発し歩き続けた。

しかし、鳥取大学や北海学園大学のグループはヒグマ出没の一報を受けすでに避難したあとだったため、仕方なく彼らは夜道を歩き続けた。

不幸にもヒグマは彼らを追いかけ、追いついた。

ヒグマはまずEを襲い絶命させた。
Cは他のメンバーとはぐれてしまった。彼らは一目散に逃げ、その夜はガレ場で夜を過ごした。

27日早朝、深い霧が出ていたため視界は悪かった。

下山する途中でヒグマはまた現れた。
Aがターゲットとなりそのまま襲われて死亡した。

BとDは無事下山し、逃げ延びた2人は五の沢砂防ダムの工事現場に駆け込んで車を借り、18時に中札内駐在所へ到着した。


【救助隊】

仲間とはぐれたCは鳥取大学グループが残したテントに駆け込み一夜を明かしたが、27日の8時ごろにヒグマに襲われ死亡した。Cは死ぬ直前まで様子や心境をメモに書いていた。

28日、十勝山岳連盟の青山義信を現場隊長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。
さらに帯広警察署は、カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。

翌29日、早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で2人の遺体を発見した。

遺体は九州から捜索に加わっていた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員によってAとEであることが確認された。

29日16時半ごろ、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。亜成獣(3歳)の雌であまり大きくはなかった。

30日にはCの遺体も発見された。雨天で足元が悪いことから遺体を下におろすことができず、31日17時に八の沢カールで3人の遺体は火葬にされた。

八の沢カールには追悼のプレートがかけられ、そのプレートには「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が記されている。

3人を殺害したヒグマは解剖されたが、体内からヒトや持ち物などは確認されなかった。

このヒグマは剥製にされ、中札内村の日高山脈山岳センターに展示されている。(以下略)

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件  Wikipediaより


16: 名無しさん@おーぷん ID:fiR
主人公みたいな変なマタギいるのもドラマ性あってええよな

17: 名無しさん@おーぷん ID:FaP
>>16
サバの解体に使うデカい包丁でクマを倒した経験があるとか聞いたわ

その他】 星野道夫ヒグマ襲撃事件

星野道夫ヒグマ襲撃事件


1996年7月25日 TBSの人気動物番組『どうぶつ奇想天外!』の撮影の為、同地を訪れた。

今回は星野の持ち込み企画で、「ヒグマと鮭(サケ)」をテーマに撮影する予定で、星野の他にTBSスタッフ3名とロシア人ガイド2名が同行していた。
小屋には取材班とガイドの5名が泊まり、星野はそこから数m程離れた所にテントを張り、1人でそこに泊まることにした。
その時小屋の食糧がヒグマにあさられていた形跡をガイドが発見している。

7月27日 別のアメリカ人写真家が現地を訪れ、星野のテント近くにテントを張ったが、その夜、写真家は金属音で目が覚めた。
外に出ると小屋の食糧庫にヒグマがよじ登り、飛び跳ねていた。

ヒグマは体長2 m超・体重250 kgはある巨大な雄クマで、額に特徴的な赤い傷があった。
アメリカ人写真家が大声を出して手を叩くとヒグマは跳ねるのを止め地面に降りると、今度は星野のテント後方に周りはじめた。

その最中、星野がテントから顔を出したので、写真家は「あなたのテントから3 mにヒグマがいる」と警告した。
星野は「どこ?」と返す。「すぐそこ。ガイドを呼ぼうか?」と写真家が聞くと「うん呼んで」と答えたので、写真家は小屋のドアを叩いてヒグマが出たとガイドに告げた。

小屋から出てきたガイドは鍋を叩き鳴らしながら近づき、7-8mあたりでクマ除けスプレー(以下スプレーと略)をヒグマに向けて噴射したが、ヒグマには届かなかった。

なお、同地は自然保護区のため銃の所持・使用は禁止されている。
その後もスプレーを掛けようとガイドは悪戦苦闘するが上手くいかず、やがてヒグマはテントから離れていった。

このためガイドたちは星野に小屋で寝るよう説得したが、星野は「この時期はサケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」として取り合わなかった。一方でアメリカ人写真家は身の危険を感じ、近くの鮭観察タワーに宿泊した。

8月1日 環境保護団体のグループが訪れ同地でキャンプをしたが、靴をヒグマに持ち去られたり、写真家が不在だった鮭観察タワーに泊まった1人は、一晩中タワーによじ登ろうとするヒグマに怯え眠れなかったという。

8月6日夜にはまた星野のテント近くにヒグマが現れて、ガイドがスプレーで追い払った。
ガイドは再び強く小屋への移動を勧めたが、星野はこの時も聞き入れなかったという。

8月8日の深夜4時頃 星野の悲鳴とヒグマのうなり声が暗闇のキャンプ場に響き渡った。

小屋から出てきたTBSスタッフは「テント!ベアー!ベアー!」とガイドに叫んだ。
ガイドが懐中電灯で照らすとヒグマが星野を咥えて森へ引きずっていく姿が見えた。

ガイドたちは大声をあげシャベルをガンガン叩いたが、ヒグマは一度頭をあげただけで、そのまま森へ消えていった。テントはひしゃげていてポール(支柱)は折れ、星野の寝袋は切り裂かれていた。
ガイドが無線で救助を要請し、ヘリコプターで到着した捜索隊は上空からヒグマを捜索し、発見すると射殺した。

星野の遺体は森の中でヒグマに喰い荒らされた姿で発見された。

星野は「野生のヒグマは遡上する鮭の多いこの季節に人を襲わない」との考えからテントに泊まり続けた。その知識は基本的には間違いではないが、今回星野を襲ったのは地元テレビ局の社長によって餌付けされていたヒグマで、人間のもたらす食糧の味を知っている個体であった。

さらにこの年は鮭の遡上が遅れ気味で、食糧が不足していた。
死の直前まで撮影された星野の映像は遺族の意向もあり、「極東ロシアヒグマ王国~写真家・星野道夫氏をしのんで~」と題し、後日放送された。

以上がTBSが作成した「遭難報告書」による事件の経緯だが、星野が死亡していることもあり、本当に星野が小屋に泊まることを拒否したのか、事件は回避出来なかったのか等の真偽は不明である。

ガイドやアメリカ人写真家の証言と報告書との間に矛盾もあったことから、星野の友人らはTBSに対して公開質問状を送ったが、TBS側は報告書の一部間違いは認めたものの、事故を予測することはできなかったと回答している。
また遺族の意向もあり、追加報告書の作成は見送ったとしている。

星野道夫  Wikipediaより





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