引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1605536729/
【福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件】
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は1970年(昭和45年)7月に北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町静内高見)の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。
若い雌のヒグマが登山中の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(のちにワンダーフォーゲル部へ昇格)会員を襲撃し、3名の死者を出した。
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件、福岡大学ワンゲル部員日高山系遭難事件とも呼ばれる。
事件の経緯
計画 福岡大学ワンダーフォーゲル同好会所属の学生A(リーダー、20歳)、B(サブリーダー、22歳)、C(19歳)、D(19歳)、E(18歳)の5人は1970年7月12日9時に列車で博多駅を出発し、14日に新得駅へ到着した。
14時半に芽室岳へ入山。そのまま芽室岳からペテガリ岳へ日高山脈を縦走する計画だった。
予兆
25日、中間地点であるカムイエクウチカウシ山 (標高1,979m)の九ノ沢カールでテントを張ったところ、ヒグマが現れた。
ヒグマがいない九州から来た彼らは恐れることなく様子を見ていたが、ヒグマが荷物をあさりだしたため音を立てて追い払い荷物を取り返した。
しかしその夜、再びヒグマが現れテントに穴を開けた。
身の危険を感じた彼らは交代で見張りを立てたが、その後は現れなかった。
26日の早朝、ふたたびヒグマが現れテントを倒した。
Aの指示でBとEが救助を呼ぶため下山を始めた。
その途中で北海学園大学のグループや鳥取大学のグループに会ったので救助要請の伝言をし、BとEは他の3人を助けるため山中へ戻った。
ヒグマの襲撃
BとEは昼ごろに合流し、5人でテントを修繕した。
16時ごろ、寝ようとしていた彼らのもとにヒグマが現れ居座った。
彼らは鳥取大学のテントへ避難するため、九ノ沢カールを出発し歩き続けた。
しかし、鳥取大学や北海学園大学のグループはヒグマ出没の一報を受け、すでに避難したあとだったため、仕方なく彼らは夜道を歩き続けた。
不幸にもヒグマは彼らを追いかけ、追いついた。
ヒグマはまずEを襲い絶命させた。
Cは他のメンバーとはぐれてしまった。彼らは一目散に逃げ、その夜はガレ場で夜を過ごした。
27日早朝、深い霧が出ていたため視界は悪かった。
下山する途中でヒグマはまた現れた。
Aがターゲットとなりそのまま襲われて死亡した。
BとDは無事下山し、逃げ延びた2人は五の沢砂防ダムの工事現場に駆け込んで車を借り、18時に中札内駐在所へ到着した。
救助隊
仲間とはぐれたCは鳥取大学グループが残したテントに駆け込み一夜を明かしたが、27日の8時ごろにヒグマに襲われ死亡した。
Cは死ぬ直前まで様子や心境をメモに書いていた。
28日、十勝山岳連盟の青山義信を現場隊長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。
さらに帯広警察署は、カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。
翌29日、早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で2人の遺体を発見した。
遺体は九州から捜索に加わっていた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員によってAとEであることが確認された。
29日16時半ごろ、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。
亜成獣(3歳)の雌であまり大きくはなかった。
30日にはCの遺体も発見された。
雨天で足元が悪いことから遺体を下におろすことができず、31日17時に八の沢カールで3人の遺体は火葬にされた。
八の沢カールには追悼のプレートがかけられ、そのプレートには「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が記されている。
3人を殺害したヒグマは解剖されたが、体内からヒトや持ち物などは確認されなかった。
このヒグマは剥製にされ、中札内村の日高山脈山岳センターに展示されている。(以下略)
スレ主はアホなのか
どう考えても三毛別のほうがやばい
三毛別羆事件
三毛別羆事件(さんけべつヒグマじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。
三毛別事件や六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。
エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。
事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事態は終息した。
【事件の経緯】
事件の現場となった北海道三毛別六線沢は、日本海の沿岸から内陸へ30kmほど入った地区である。地名の「三毛別」は、アイヌ語で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」に由来する。
なお、六線沢の住民は東北などから移住してきた人々で、元々住んでいた人はいない。
池田家の騒動
1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。
飼い馬が驚いて暴れたため、そのときの被害は保存食のとうもろこしに留まった。
村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このような野生動物の襲来は珍しいものではなかったが、主人である池田富蔵(いけだ とみぞう)はぬかるみに残った足跡の大きさ(約30cm)に懸念を持った。
11月20日、ふたたびヒグマが現れた。
馬への被害を避けようと、富蔵は在所と隣村から2人のマタギを呼び、3人で待ち伏せることにした。
30日、三度現れたヒグマに撃ちかけたが、仕留めるには至らなかった。その夜、長男・富吉 (とみきち)や妻に留守を頼み、次男・亀次郎(かめじろう・当時18歳)を加えた4人で鬼鹿山方向へ続く足跡を追い血痕を確認したものの、地吹雪がひどくなりそれ以上の追撃を断念した。
マタギたちは、件のヒグマは「穴持たず」という、何らかの理由により冬眠し損ねたクマであると語った。
さらに足跡の巨大さから「このクマはあまりの巨体のため、自分の身に合う越冬穴を見つけられなかったのではないか」と推測し、「穴持たず」となったクマは非常に凶暴であることを付け加えた。明景家の惨劇
(中略) ヤヨは屋外へ逃げようとしたが、恐怖のためにすがりついてきた勇次郎に足元を取られてよろけてしまう。
そこへヒグマが襲いかかり、背負っていた梅吉に噛みついたあと、3人を手元に引きずり込んでヤヨの頭部をかじった。
だが、直後にヒグマは逃げようと戸口に走っていく要吉に気を取られて母子を離したため、ヤヨはこの隙に勇次郎と梅吉を連れて脱出した。
追われた要吉は物陰に隠れようとしたが、ヒグマの牙を腰のあたりに受けた。
要吉の悲鳴にヒグマは再度攻撃目標を変え、7人が取り残されている屋内に眼を向けた。
ヒグマは金蔵と春義を一撃で撲殺し、さらに巌に噛みついた。
このとき、野菜置き場に隠れていたタケがむしろから顔を出してしまい、それに気づいたヒグマは彼女にも襲いかかった。
居間に引きずり出されたタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた。(以下略)
シベリアのカムチャッカ-Kamchatsky半島で、 2011年8月13日の日中、森林でヒグマ(brown bear)が人を襲い、 男女2人(父+娘19歳)が死亡する事件が起きた。
英文ではbrown bear=ヒグマ
地元民の話では、 川原で住民が休んでいたところに、 突然森からヒグマが現れ、人に襲い掛かった。
現地ではここ1年ヒグマが人を襲った例はなかった。
この事件、 実は想像を絶する前代未聞の悲惨なできごとだった。
犠牲者の2人は、一緒に釣りに出かけた。
①オルガ・モスカヨワ Olga Moskalyova、娘19歳と
②継父(けいふ、ままちちStepdaughter)の イゴール・チガネンコフIgor Tsyganenkovで、
襲ったのは母ヒグマと3頭の小熊だった。
先にイゴールが襲われ、首の骨を折られ、頭を割られて死亡し熊に食われていた。 それを草むら越しに見たオルガは60mほど逃げたが熊に捕まり、 襲われたオルガは、自分が熊に食べられている最中の、 絶望的な状況の中で母親に携帯電話を掛け助けを求めたのだ。
電話を受けた母親が冗談だと思ったその内容は、、、
第1回目の携帯電話:
「ママ、熊が私を食べている。ひどく痛い!、、ショックで死にそうだ!」というものだった。
同時に聞こえてくる獣の息遣いなどから、 やっと現実を理解した母親は、 娘オルガの近くにいるはずの夫イゴールが、すでに死んでいるとは、 想像も出来ず電話をするが応答は無い。
あわてて警察に電話をした時、娘オルガから2度目の電話が入った。
第2回目の携帯電話:
弱弱しい声で「ママ、熊が後ろにいる。戻って3頭の小熊を連れて来て、彼らが私を食べている、」
その電話も途切れ、最後になった電話は、 最初(第1回目)の電話から1時間後で、熊はすでに立ち去っていた。
目前の死を悟ったのだろう「ママ、もう噛まれていない。痛みも感じない、、今までのことごめんなさい。すごく愛している、、。」
これが彼女オルガの最後の電話だった。
それから半時間後、 警官と”父親の兄弟”ら数人が現場についたが、 目にしたのは、まだ夫イゴールを食べている熊の姿と、 無残な姿で死んでいる娘オルガだった。
その後、 駆けつけたハンター6人によって、 母熊と3頭の小熊は射殺された。
娘オルガは最近音楽学校を卒業し、数日前に運転免許を取ったばかりだった。
二人は2011年8月17日埋葬された。
@それロシアやんけ
これマジ?すっげえ悲しいな
映画みたいでリアリティあってコワイやんけ!aku
ワンゲル←50年くらい前
電話クマ←10年くらい前
グリズリーマンかな
それや
名前思い出せんかったサンガツ
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野生生物保護活動家のティモシー・トレッドウェルがアラスカで非武装でグリズリーと暮らした記録をヴェルナー・ヘルツォークが描く心に迫るドキュメンタリー映画
朝になったしもう大丈夫やろ→まだ熊いるやん
この絶望感よ
ほんこれ
まあロシアの話やし多少はね
夜這いしてた相手に嫌われて
悪口言われるようになったから夜中に村人殺しまくったやつやろ
なんか混ざってて草
昨日立ってた十津川村かなんかのとかぶる
ここまでは来ないやろうしリスクは犯さないとね
なお
知床で車からヒグマにエサやってるバカとかな
熊を凶暴化させて知床に観光客が立ち入らないようにして環境を守る活動やぞ
怖すぎるわ
あれも誇張やで
日本のヒグマなんてせいぜい3m500㎏程度よ
三毛別のはそれでも2.7mはあるんやろ
デカすぎやろ
連絡が遅れたんよな
クマ賢すぎて草
これ気になる
なつかC
あれ生き残った息子がマタギになってるのポイント高い
ないわ
誇張されすぎやねん
誇張されたかどうかなんてお前にわかるはずないやん
いやウィキとかって明らかに誇張したような書き方しとるやん
葬式に来たやつとかただ餌がそのあたりにあると知ってたから
来ただけやのに「死体を取り返しに来た」みたいに誇張されとる
それをいうならワンゲルかてそうやん
せやけど古い分三毛別のほうがその傾向が強い
そんなんお前のさじ加減やん
いや明らかに客観的に見て三毛別は編集臭さがある
ガン無視するやつやったか
こわいよな
せやせや
あの荷物揃えるためにどれだけ金かかったか考えれば
簡単に捨てられへんやろ
十万かそこらと自分の命どっちが大事やねんて話やが
それに熊の執着心って当時は知ってる奴殆ど居ないやろしなぁ
それは全部を知ってるから言えるセリフやん
せやね
後だしじゃんけんやったわすまん
シートン動物記のイエローストーンの子グマを読んでからこのスレに帰ってこい
イノシシは牙の位置が的確に人の腿突けるのがヤバいわ
腿刺されて出血多量で毎年何人も死んでるよな
怖い
これの一件でクマ対策が世間に広まったらしいな
そういう現代にも通じる生々しさが上やねん
コピー見たことあるけど
血のあとが生々しかった
どんな防御力なんやろ
頭蓋骨は当たり方次第で銃弾も弾く
武器あれば勝てるかも
せや
会員特典対象の作品が見放題 !!
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