引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1647414779/

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1: 名無しさん ID:7p7G9pE89
https://mainichi.jp/articles/20220316/k00/00m/040/173000c
七熊山は登山道があるが、ヤマビルの多さもあって訪れる人は少なく、山頂まで続く雑木林に、戦場だったことをしのばせるものは特にない。埋文センターは2020年度から調査。政府軍がまとめた「征西戦記稿(せいせいせんきこう)」に記述がある両軍の防御陣地跡も約40カ所、山腹で確認した。山頂まで緩傾斜が続くが、防御陣地跡は土を掘って傾斜をなくし、1メートルの高低差を利用して兵士が身を隠したとみられる。
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5: 名無しさん ID:r0uaSTWu0
鉛と鉄では使用時にどのような違いが生じますか

9: 名無しさん ID:o/+CMXd10
>>5
鉛は柔らかいので銃身内部を傷つけないし、人体に着弾時に変形して傷が大きくなる
毒があるので体内に留まると中毒を起こす
融点が低いので炭火程度の熱でも溶融させて新しい弾を作れる

18: 名無しさん ID:r0uaSTWu0
>>9
ありがとうございます

26: 名無しさん ID:HRJ4Ujt+0
>>9
わかりやすいように言えよ
鉄だとちゃんと飛ばん(跳ねて精度も飛距離も悪い)し手製では鉛に比べて時間が掛かる
だから薩軍は抜刀攻撃にしか打開策がなくなる

152: 名無しさん ID:xMH69nXl0
>>26
お前のほうが分かりにくいわ

31: 名無しさん ID:ZnavppRe0
>>26
あんたの説明のほうがわかりにくい

33: 名無しさん ID:VGgPmrQi0
>>26
西南戦争の頃ならまだ抜刀隊も活躍出来たんだろうね。

37: 名無しさん ID:AZeNJ9+50
>>33
日露戦争でも勝負をつけるときは銃剣での突撃が主攻だよ。

42: 名無しさん ID:HAUz7UXi0
>>33
実際会津の生き残りに
だいぶやられてる

48: 名無しさん ID:AZeNJ9+50
>>42
元会津藩士が抜刀隊の部隊に所属していたのは事実だけど
抜刀隊の主力はほぼ薩摩藩士。

20: 名無しさん ID:27j9nT6B0
>>5
鉛弾の一番のメリットは値段が安い、加工が簡単、比重が重い

27: 名無しさん ID:wmVHF2a/0
>>5
銃身がスチールなので
弾丸が鉄だと重心の摩耗が激しいから鉛なんだけど
鉛はカスが銃身に溜まるから銅のジャケットで覆ってるのが多い

40: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>5
鉛は比重が鉄より大きいので物理的に威力が強い。
拳銃弾なら衝突の衝撃でマッシュルーム化と言われる変形を起こして更に威力を増すが、黒色火薬のこの時代にはそこまでの威力はない。

軍事的に重要なことは融点が低いこと。
鉛と融点は330度程度で金属の中では圧倒的に低く結果大量生産がしやすい。

鉄は鉛ほど重くないため威力が弱いが、硬いため装甲などに対しては有効。
ただし、黒色火薬のこの時代に徹甲弾となるようなエネルギーは用意できないし、何より西郷軍も政府軍も洋風軍になっているので甲冑はつけていないから硬いと言うメリットは生きにくい。

何より面倒なのはその融点の高さ。1500度以上という高温は炭素などを混ぜ込むことで下げることができるとは言え、特別な炉を用意しないと実現できない。
結果的に必要な弾数を短期間で西郷軍が用意することは難しかっただろう。

88: 名無しさん ID:WUE9AxBH0
>>5
鉛→体内でグチャグチャに砕ける
鉄→体内でそのままの形状で留まる

8: 名無しさん ID:6pojMP540
火縄銃だよね

24: 名無しさん ID:VGgPmrQi0
>>8
西南戦争で火縄銃なんてほとんど使われてないんじゃないか?
戊辰戦争でもすでに弱小藩の二線級の兵器だし。
ペリーを迎えた部隊もゲベール銃だったらしいし当時の日本は意外に先進的。

47: 名無しさん ID:+SYmvbl20
>>24
ゲベール銃が西欧ではもう旧式だったから、日本に輸出されたわけよ。

100: 名無しさん ID:J5kV9oxn0
>>47
いや
幕府軍はナポレオン3世から手に入れてたからゲベールマスケット
維新軍も最初はゲベール入れたけど
大村益次郎の判断でミニエー調達するも、スナイドル銃に転換してる
こっちはライフル

107: 名無しさん ID:+SYmvbl20
>>100
それ、開国よりずっと後の話でしょ。

120: 名無しさん ID:J5kV9oxn0
>>107
> さらに講武所の設置と前後して、
安政2年(1855年)9月には徒組、安政3年(1856年)1月には小十人組に対して砲術師範の江川英敏への入門が義務付けされ、洋式銃砲の訓練が始められた。
この訓練は、講武所設置後には、その中の砲術習練所へと移って続けられた。安政5年(1858年)には、深川越中島に銃隊調練所が建設された。
しかし、阿部の死後に井伊直弼が大老に就任すると、西洋式軍備の導入は停滞してしまった。

浦賀にペリーが来たのは1853年と1854年。このときに火縄銃300丁を送っているが、そもそもゲベールで迎えたというのはどこの記録?

128: 名無しさん ID:+SYmvbl20
>>120
>そもそもゲベールで迎えたというのはどこの記録?

143: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>120
高島秋帆が1831年にゲベール銃をオランダから買ったという記述があり、以後幕府も積極的に洋式化を進める中で相応の銃の整備をしている。

ペリーの来航時に対応した江川英龍は高島の弟子だから当然ゲペール銃は知っているし輸入できる立場にある。

ペリーを迎えた幕府側の部隊が全員ゲペール銃装備していてもそんなに変ではない。

151: 名無しさん ID:8ftXof1j0
>>143
幕府側の話ならきちんと書いてるが。
とりあえずペリーをゲベール銃兵隊で迎えたって史料が知りたいだけ
時系列は合わないけどな

158: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>151
記録にはあるらしいね。
https://jken06.hatenadiary.com/entry/2020/09/08/214133

165: 名無しさん ID:8ftXof1j0
>>158
ありがとう
前期のフリントロック式ゲベールか。
こら知らなかった。
勉強になります

169: 名無しさん ID:VGgPmrQi0
>>47
高島秋帆がゲベール銃を輸入した時期は末期といえどもゲベール銃の時代だよ。
欧米が旧式銃を売り込んだではなく日本が輸入したで良いと思うよ。
輸入できたのがゲベール銃の中でも旧式銃であっても。
アヘン戦争よりも前に軍の近代化の動きが出ていたりと、
明治の成功は幕末どころかその前の時代に始まってたりするんだから面白い。

53: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>24
資金力はあったからね。

全ての藩いうわけにはいかなかったが、日本で流通していた銀の量は当時の世界としては破格に多く、その気になれば欧米の軍艦だろうが、最先端の後装式の雷管式銃だろうが買うことができた。

そして何が最新式かと言った情報を長崎の出島を通じて得るルートとその情報を理解しる高度な人材を有していた。

57: 名無しさん ID:AZeNJ9+50
>>53
世界では既に時代遅れの2流品の武器を争って買い付けて
多量の銀を欧州に流した馬鹿な時代。

62: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>57
それは事実ではない。

開発した等の本国でさえ充分整備されていないガトリング砲やアームストロング砲を多数輸入し、最新鋭のスナイドル銃を多数輸入していた。

銀の流失は公定レートの違いを悪用されたのだから武器の買い付けとは次元が違う。

170: 名無しさん ID:VGgPmrQi0
>>53
もう少し早くから取り組んでおけば樺太や千島、竹島を取られてなかったのにと悔しいね。

107: 名無しさん ID:+SYmvbl20
>>24の言ってた「ペリーを迎えた部隊のゲベール銃」は、ナポレオン三世経由ではなかろ。

128: 名無しさん ID:+SYmvbl20
>>24を書いたのはオレではないので、オレには答えようがない。
ただ、開国前から高島秋帆がゲベール銃をオランダから輸入しているので、不自然ではないかなと思ったまで。

30: 名無しさん ID:cWxFRIQb0
鉄弾頭は第二次世界大戦前後でよく使われてたよ
あの辺りは戦争多すぎてどこも鉛が手に入らんかったから

真鍮の代替品として薬莢にも使われてたりする

58: 名無しさん ID:HLF9eX320
>>30
>真鍮の代替品として薬莢にも使われてたりする
ドイツは技術があったから鉄で薬莢が作れた。
(プレス加工で伸びる鉄材料と潤滑剤があった)
貧乏なくせに技術がなかった某国と金持ちアメリカは黄銅の薬莢。

64: 名無しさん ID:BsgvGU6D0
戦国時代の武田も織田に堺を抑えられてたせいで鉄砲の数はあれど鉛や硝石の入手には相当苦労してたんだよな
実際領内の神社に弾薬に使用するため銅製のびた銭を供出するよう命じてる書状が残ってるし

73: 名無しさん ID:uYOtMlA40
>>64
NHKの歴史探偵かなんかで鉱山も抑えられてたとか言ってたかな

78: 名無しさん ID:AZeNJ9+50
>>73
鉱山を奪い合うために南信から東三河にかけて侵攻してたんで
東三河周辺で争いが耐えなかったな。

94: 名無しさん ID:BsgvGU6D0
>>73
武田と徳川で鉛の鉱山の奪い合いしてるからな
長篠を中心に信濃国境にかけての奥三河には鉱山が点在していた
近年の研究で奥三河には睦平鉛山の存在か確認されてるし、武田と徳川が奥三河の争奪に執念を燃やしたのは鉱山を確保するための争いだったつってことだな

119: 名無しさん ID:IPtMNbcS0
>>94
信長の野望なんかのゲームはこの辺のことに焦点を当てて鉱山を砦とかの拠点としてマップ上に点在させて欲しいな。山奥の戦いの重要性を知れておもしろいと思う。

176: 名無しさん ID:HFj5blqB0
>>119
家康が自分の娘を嫁にやってそこの大名を懐柔したのもそういうことかw
なんで山猿に娘やったのか疑問だったのがガッテンいったわw

186: 名無しさん ID:BsgvGU6D0
>>119
その辺りがゲームでどこまで再現できるのかは分からんけど、奥三河の山家三方衆みたいな所謂境目の国衆にスポット当てるとより面白くなりそう
天正壬午の乱の時の真田が短期間で織田→北条→徳川→上杉とコロコロ従属する相手を変えたり、東美濃の遠山氏みたいに織田と武田に両属したりとか境目の国衆の生存戦略は実に興味深い

92: 名無しさん ID:rf+Zjk6H0
>>64
戦国時代は火薬の原料は輸入されてたような。

99: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>92
輸入はされていたんだけど、当然生産もなされていた。
文書に残っているのはトイレの下の土。浸透した糞尿が硝酸菌の働きで硝石になっている。
実際にはもっと能動的に大規模な硝石製造プラントが稼働していた。

103: 名無しさん ID:J5kV9oxn0
>>99
塩硝ね
白川郷の秘密生産物だから藩外秘だった
表向き生糸の生産しつつ、蚕のフンで溜め込むとか
前田もなんだかんだ戦国の武将なんだなと。
いつ徳川落とすかつねに考えてたんだろ

109: 名無しさん ID:d/QqNj6S0
>>103
その通り。明治維新時もそうなんだけど、戦国時代もリーダーたちは先見の明があるというか、科学技術にとても精通しているんだよね。