引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1643143028/

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画像出典:amazon.co.jp

1: 風吹けば名無し ID:Gm/5Ba0q
ワイ  「は? しゃーないモデルの伝記読んでみるか……」

森田勝 「冬期三スラ登ったぞ」
ワイ(同じやん)

森田勝 「エベレスト頂上目前まで行ったけど撤退命令されたぞ」
ワイ(同じやん)

森田勝 「俺だったらザイルを切るね」
ワイ(同じやん)

森田勝 「長谷川恒男に負けたくないからグランドジョラス行くぞ」
ワイ(同じやん)

森田勝 「落ちて歯使ってテラスまで戻ったぞ」
ワイ(同じやん)

森田勝 「生還して家で嫁が作った飯を食ってる時号泣したぞ」
ワイ(こっちのほうがええな)

森田勝 「もう一度グランドジョラス行くぞ」
ワイ(ええな)

森田勝 「パートナー落ちたわ……ザイル切れば助かるな……」
ワイ(ファッ)

森田勝「ザイル切らずにタヒんだわ」
ワイ(はえ~…)

ワイ「実在の森田勝のほうが面白いわ」

神々の山嶺(上) (集英社文庫)
夢枕獏
集英社
2013-07-25




森田 勝


翌1980年の冬、森田はまだ左足にボルトが入ったままグランド・ジョラスを訪れた。
森田の運営していた登山学校の村上文祐と2月19日登攀を開始したが、2月24日に行方不明となった。その後日本人アルピニストにより遺体が発見された。
2月25日、山岳警備隊が遺体を回収。およそ800メートル転落、即死したとみられている。
その遺体発見者は、村上が先に滑落していると思しき場面を目撃しており、森田は二人を繋ぐザイルを切ることなく村上を助けようと苦闘した結果ともに転落したのではないかと推察している。

森田 勝  Wikipediaより

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森田 勝 


森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19日 - 1980年(昭和55年)2月24日)は、日本の登山家。

【経歴】
1959年に東京緑山岳会に入会。主に谷川岳でのクライミングにのめりこんで行く。金型工としての腕はあったが、山登りを優先し、職場を転々とする生活になった。 (中略)

1966年、東京緑山岳会にも海外遠征の話が出始めた。目標が南米最高峰のアコンカグアと決まり、森田も強く参加を希望したが、必要な費用の工面ができずに参加できなかった。そこで、雪崩が頻発するため冬季登攀は不可能と見られていた谷川岳滝沢第三スラブ(三スラ)へ、岩沢英太郎との登攀を計画。これを危険過ぎると見なした東京緑山岳会から脱会を言い渡されるが、1967年2月24日午前に登攀を開始した。ビバークの後、翌2月25日、チリ雪崩、雪の中をオーバーハングを乗り切り、同日夕方に初登攀に成功した。

1972年、アルパイン・ガイド協会に入会。プロの登山家となる。1973年、第2次RCCのエベレスト遠征に参加。森田の推薦で、長谷川恒男も参加する。遠征の目的は、エベレスト南西壁からの世界初登頂、南西壁からの初降下、秋季初登頂の3つだった。
森田は南西壁からの登攀隊長に選出される。しかし荷揚げのシェルパが雪崩に巻き込まれて遭難した上、悪天候が長期化し、物資の欠乏もあり南西壁からの登頂が困難になった。森田を含めた全メンバーが、ノーマルルート(東南稜)へ転進するか南西壁にとどまるかの選択を迫られた。森田らは、重広恒夫とともに南西壁からの登頂にこだわった。
ノーマルルートには、加藤保男・石黒久のアタック隊とサポート隊(長谷川恒男ら)を行かせることに決定。加藤保男・石黒久は、秋季エベレスト初登頂に成功し、長谷川の頑張りによって、なんとか生還を果たす。
森田隊は、重広恒夫が当時の南西壁ルートの最高到達点であった8,350 m地点まで到達するも、加藤保男らの救助のために大量の酸素ボンベを消耗したことで登攀続行が困難となり、登頂を断念した。

1974年、結婚した。山への情熱は衰えず、1977年、日本山岳協会によるK2登山隊に参加し、荷揚げ・ルート工作に携わった。8月2日、登頂メンバーが発表されるが、森田は第2次アタック隊にまわされる。
第1次アタック隊でルートを開き、第2次隊で確実に登頂する計画だったとも言われているが、あくまでも一番にこだわる彼はそれを良しとせずに造反。体調を理由に下山してしまう。

1978年、長谷川恒男がアイガー北壁冬季単独登頂を世界で初めて成功させる。これにより長谷川は世界初のアルプス三大北壁の冬季単独登頂を達成するためにグランド・ジョラスを残すのみとなった。
これを聞いた森田は、1978年12月8日、グランド・ジョラス北壁(ウォーカー側稜)、冬季単独登頂をねらいヨーロッパに向かった。翌年早々、アタックを開始するが、悪天候に阻まれた。
2月になり長谷川恒男もドキュメンタリー映画の撮影隊を従えて、麓のシャモニーに入る。森田は、2月18日、再度アタック。
その日の午後1時、休憩中にフックが外れ、50メートル落下した。4時間意識を失った後、激しい痛みで意識を取り戻すが、すでに夕刻になっていた。しかも左足骨折・胸部打撲・左腕も動かない状態だった。
宙づりのまま、幻覚と戦いながら夜を明かし、翌日、右手・右足と歯で25メートルの決死の登攀を行い、6時間以上かけて荷物のあったテラスに戻った。
そこでまた夜を明かし、翌日にフランス陸軍の山岳警備隊に、ヘリコプターによって救助された。
2月25日、ライバルの長谷川恒男がグランド・ジョラス北壁に取り付いた。幻覚幻聴まで感じながら、長谷川は、3月4日、グランド・ジョラス北壁を征服。世界で初めて、アルプス三大北壁冬季単独登頂を達成した。長谷川を取材するために日本のマスコミが大挙してシャモニーに訪れ、同地で入院していた森田も取材を受けた。

帰国後、エベレスト登山隊への参加の話もあったが、K2での造反と骨折した左足にボルトが入っていることを理由にメンバー入りできなかった。

森田 勝  Wikipediaより
2: 風吹けば名無し ID:mUE0isKv0
ええやん

3: 風吹けば名無し ID:n81NWNHP0
森田やハセツネ加藤保男
あの時代らへん面白いよな

加藤保男


加藤保男(かとう やすお、1949年3月6日 - 1982年12月27日?)は、日本の登山家。8000メートル峰に4度、エベレストに3度の登頂を果たした。エベレストをネパール、チベット両側から登頂したのは世界初。エベレスト3シーズン(春・秋・冬)登頂も世界初。埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。大宮市市民栄誉賞第一号を受賞。
【遭難死】
1982年末に冬期エベレスト登頂を目指し、12月23日に7900mの最終キャンプから一人でアタックしたが片足のアイゼンが脱げ落ち、強風のなか8,100m地点で断念した。12月27日に再度、小林利明とともに最終キャンプからアタックし、約11時間後の15時55分登頂に成功した。小林は加藤より遅れたため登頂を断念した。
2人は下山中に南峰(8,750m)付近でビバーク、消息を絶った。

12月30日、-50℃近くまで気温が下がり40-50m/秒のジェット気流が吹き荒れる気象条件下で3晩が過ぎ、酸素も14時間分しか持っておらず、食料も欠乏したと考えられることから生存が絶望視されるに至り、ベースキャンプからも「遭難死は間違いない」との連絡が入った。
故郷のさいたま市の市営霊園「思い出の里」に、遺体の無いまま墓が建立された。

加藤保男  Wikipediaより

4: 風吹けば名無し ID:Gm/5Ba0q
神々の山嶺のシナリオ自体の価値は「結局ノーマルルートで登頂するということか」くらいしかなかったわ

5: 風吹けば名無し ID:dXIX2V7UM
アニメってどうなん?



6: 風吹けば名無し ID:xqVCuO2c0
鬼スラ!?

長谷川恒男


長谷川 恒男(はせがわ つねお、1947年(昭和22年)12月8日 - 1991年(平成3年)10月10日)は、日本の登山家。日本アルパインガイド協会専務理事を務めた。ウータンクラブ主催。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初。神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。神奈川県愛甲郡愛川町半原出身。

  • 1963年 横浜市立岩崎中学校卒業。日本コロムビアに入社。兄の影響により登山を始める。 
  • 1971年 日本コロムビアを退社後、日本アルパインガイド協会公認のガイドになる。
  • 1973年 第2次RCCによるエベレスト登山隊の中での、サポート隊としての活躍と、見捨てられたという誤解による隊への不信が、その後の長谷川の山行に大きな影響を与えた。この事件は、長谷川が加藤保男との対比という視点でも見られるようになるきっかけとなった(長谷川は、登頂成功後にビバークしていた加藤を救助している)。 
  • 1974年3月 冬季未踏であった谷川岳一ノ倉沢滝沢第2スラブを単独初登頂。 
  • 1977年2月16日 マッターホルン北壁 冬期単独登頂。北壁の冬期単独登頂はワルテル・ボナッティに次いで2人目。
  • 1978年3月9日 アイガー北壁 冬期単独初登頂[1]。 1979年3月4日 グランド・ジョラス北壁 冬期単独初登頂[1]。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初となった。
  • 1981年 アルパインガイド長谷川事務所を設立、南アメリカ最高峰アコンカグア南壁(中央クーロワール新ルート)の冬季単独初登攀に成功。 
  • 1982年 第1回ジュニア・アルピニスト・スクールを開催する。パタゴニア・フィッツ・ロイ北東壁新ルート試登。これ以降の遠征はすべて敗退する。 
  • 1983年 ダウラギリI峰(北東稜)。吉尾弘が副隊長として参加。 
  • 1984年 ナンガパルバット(南東稜)、ナンガパルバット中央側稜単独。
  • 1985年 チョモランマ(北東稜)。雪崩で1名遭難。 1987年 チョモランマ北東クーロワール。 1988年 チョモランマ北東クーロワール。 1990年 パキスタンの未踏峰(当時)、ウルタルII峰南西壁。 1991年 ウルタルII峰で雪崩に巻き込まれ星野清隆と共に遭難死。遺体はフンザ渓谷内のベースキャンプ近くに埋葬され、墓地も造営された。
  • 1993年 東京都山岳連盟が日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)を開催。毎年行われている。 
  • 2011年10月10日 没後20年を記念して御岳山の長尾平に顕彰碑が建立された。


長谷川恒男  Wikipediaより

7: 風吹けば名無し ID:Gm/5Ba0q
森田の嫁が伝記渡されて「息子さんにもぜひ読んでほしい」って作者に言われて「絶対読ませません」って言った話すこ

8: 風吹けば名無し ID:9irsbJqSM
凍読めよ

凍 (新潮文庫)
耕太郎, 沢木
新潮社
2008-10-28


9: 風吹けば名無し ID:Gm/5Ba0q
佐瀬稔「狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死」
これほんま面白かったからおすすめや


10: 風吹けば名無し ID:4SXs8eIJ0
でも羽生を思いながら食料切り詰めないじゃん

11: 風吹けば名無し ID:rojGv8oU0
夢枕獏作品で一番夢枕節が炸裂しとる

13: 風吹けば名無し ID:0s0jWWck0
ヤマノススメ1〜12話定期

14: 風吹けば名無し ID:4SXs8eIJ0

16: 風吹けば名無し ID:N2oe+n3I0
阿部ちゃんの映画は残念のひとこと

エヴェレスト 神々の山嶺 通常版 [DVD]
尾野真千子
KADOKAWA / 角川書店
2016-09-09