引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1572638602/

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1: 底名無し沼さん ID:NM1QssMP
印象的な遭難事故だった。



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2: 底名無し沼さん ID:MFwIEgIl
不運と準備不足がことごとく悪循環していくのが凄い。
分岐点の杭はあったのに何故か見つけられ無かったんだよな。
リーダーの権限や資質等の日本人の組織の問題でもあるね。

78: 底名無し沼さん ID:+F/HbPEh
最近この事件を知ったけど、スコップ焼き肉しといて雪洞掘るスコップが無いという…

79: 底名無し沼さん ID:6B/5E3UU
スコップで肉を焼きコッヘルで穴を掘る

82: 底名無し沼さん ID:iGgzGuHS
>>78
小屋の備品だから持ち出してたらだめだろ
早めに諦めて小屋に戻ってたら良かったのにな

5: sage ID:6Czsok74
避難小屋泊まりまではまだ良いが、翌日天気予報を確認せずに行動開始しているところがまずい。
ラジオを持っていなかったっぽい。

7: 底名無し沼さん ID:93V19PKa
いやいや、杭を見つけられなかったことが悔いが残る。
あれのためだけに半日彷徨ったらしい。
見つかってれば、無事温泉に着いてまた宴会できた。
神のいたずらか…

266: 底名無し沼さん ID:ZGhD1l9W
>>7
ツェルトなしで分散して体温が奪われる不備なビバークで消耗して、低体温症の判断力低下を食ってたとかかね。何度も単独で見通しが悪い時に自力だけで地形図読みを強いられて慣れてないと引っ掛けられる。

270: 底名無し沼さん ID:YV+OI6MR
>>266
低温でスキー板の滑り止めシールが剥がれて、そのたびに止まって貼り直してたそうだから、歩いて止まってを繰り返すうちに距離感覚が狂ったのではないか?

271: 底名無し沼さん ID:++ZmrX3H
>>270
地形をしっかり見てないと、そういうことで混乱することもあるかもね。
トムラウシみたいに停止を強いられて体が冷えて低体温症一直線でもあるな。

8: 底名無し沼さん ID:Otf4ocDn
初日に遅くなった人が手前の山小屋で泊まりたいって言えばなー

9: sage ID:6Czsok74
避難小屋と手前の山小屋の違いは、後になって見れば天気予報の情報の差なんだよな。
天気予報を踏まえて早朝立ちするか撤退するかすれば助かったっぽい。

10: 底名無し沼さん ID:l9AYPq+z
あれはNHKが過度に演出している部分もあるな。
実際に遭難しちゃったから山を舐めていたのは事実なんだけど。
時代は違うけど、だったら吾妻山遭難と同じスタンスで栗城の番組を作れと思う。

14: 底名無し沼さん ID:+/IkEIXd
放送では初日のグダグタっぷりが酷いが、スキーの機動力を考えればコース設定自体は滅茶苦茶ではない。
スコップでの焼き肉に重きを置いて山小屋の主人や天気予報聞かなかったのは致命的。
確か擬似好天に騙されて出発決めたんじゃなかった。

38: 底名無し沼さん ID:GQzgFhrB
>>14
放送ってなんのこと?


17: 底名無し沼さん ID:qoqSUujX
しかし登山歴30年でガイド資格もあって同じルートを二度歩いているなんて聞いたらこの人についていけば大丈夫だとつい思ってしまうな

18: 底名無し沼さん ID:SkNLtJ17
同じルートは10数回歩いてたらしい

69: 底名無し沼さん ID:z0vubfsW
結果論だけど、最初に動けなくなった人を置いていけば助かったかもしれないんだよなぁ

89: 底名無し沼さん ID:M7Y9bvx8
>>69
3日目のビバークの時に雪洞を掘ってる時点で2人が動けなくなってたから、最初の1人をすぐ置いて行ったとしてもその2人は結局ダメだったんじゃないかな
それでも最初の1人に付き添わなければ生存者は増えてただろうけど

84: 底名無し沼さん ID:vB+7tGX+
GPSの地図とかなかったの?
なんで彷徨ったの?

88: 底名無し沼さん ID:hhT+9iJ0
>>84
当時もあったけど一般には普及していなかった。

92: 底名無し沼さん ID:Z1EBMJvZ
・ツェルトやラジオを持参して余計な消耗しないよう新幹線やハイヤーの手配をしておく
・初日の宿泊先を慶応山荘にする
・2日目に霧の平を探して夜までうろうろせず速やかに引き返す
・3日目に白浜に突撃せずにビバークを続ける(何日分食料や燃料があったかは分からないけど)

99: 底名無し沼さん ID:d7cqh/oZ
>>92
全員生き残れるかどうかは2日目の行動にかかってたんじゃないかと思うわ
霧の平の杭が最初に見つからなかった時点で遭難と判断して、明るいうちに避難小屋に引き返せてればなあ。ビバークになってしまった時点で誰かは低体温症で命を落としてたんじゃないかと思う。

96: 底名無し沼さん ID:g0WtJ8Ie
吹雪の中で彷徨ってはいかんよ。
荒れてきた時点で速攻ビバーク。
スコップやツェルトがあればなお良い。

131: 底名無し沼さん ID:4GHpFNB6
5人が力尽きた後も、2人は更に1泊ビバークして、自力で滑川温泉まで下山したんだからすごいよね。
あと1日天候の回復が遅れてたら2人もアウトだったろうな。

133: 底名無し沼さん ID:yBTHeEv0
生き残った2人は7人の中では他の人より体力あったんだろうけど。
それでも、他の人が力尽きてからさらに2日動いて、全身に重い凍傷をおってたわけだから、本当にギリギリのところで助かったと思うよ。
2人でビバークした朝は、2人とも日が昇るまで眠ってたみたいだから、他の5人と同じく雪洞でそのまま息を引き取っててもおかしくなかったと思う。

90: 底名無し沼さん ID:XdORvL5g
結果論だけも結局どうすれば全員助かってたの?

91: 底名無し沼さん ID:v2vl4l5P
>>90
天気予報を見てれば

80: 底名無し沼さん ID:1tZYyshU
俺はリアルタイムでNHKの放送見てた
確か夜の20~21時頃の放送だった
オヤジがビール飲みながら見てたの子どもの頃の俺も興味もって見てたの覚えてる
最後の救助隊が走って遺体に駆け寄るシーンもよく覚えてる

それだけ恐怖で危機感のあるドキュメンタリーだった

吾妻連峰雪山遭難事故


吾妻連峰雪山遭難事故とは、1994年(平成6年)2月13日早朝から翌日にかけて福島・山形両県にまたがる吾妻連峰が猛吹雪に見舞われ、登山者5名が低体温症で死亡した事故。吾妻連峰での山岳遭難事故としては最悪の事故となった。

経過

【計画】
パーティーは30代から60代の男性2人と女性5人(当記事では、リーダーと男性A、女性BとCを中心に解説する)。リーダーは登山歴30年で山岳ガイド資格もある新聞社勤務の男性で、同じルートを以前に二度経験していた。またメンバー全てに登山経験があった。三連休を利用して山スキーで福島市の高湯より吾妻連峰を縦走し、山形県米沢市の滑川温泉に到着するルートだった。

【2月11日(祝日)】
東京駅より新幹線で出発しようとするも、速達便「やまびこ」が満席だったため各駅停車の「あおば」乗車となり、予定より30分遅れで福島駅に到着到達。

福島駅ではスキーを積むキャリアー付きタクシーが無く、急遽、マイクロバスをチャーターし、さらに30分待ち時間が発生する。ここまでのタイムロスを挽回すべく、当初の計画である吾妻高湯スキー場入口までではなく、極力、登山口の近くまでマイクロバスを走らせてほしい旨を運転手に要望。運転手は、路面凍結のためバスが登山口近くまで行けない可能性が高いので、麓の吾妻スキー場入口で降りてリフトを乗り継ぐ形による入山を勧め、スキー場入口で一度車を停め説得もしたが、リーダーの強い要望に折れる形でバスを先に進めた。

しかし運転手の懸念通り、道路凍結が起きており、メンバーは最終的に吾妻高湯スキー場入口から1km先でマイクロバスを下車した。当初は下車地点から直接歩いて登山口へ向かおうとしたが、路面凍結で登山口到着が大幅に遅れる可能性が高いと判断。結局は当初予定の吾妻高湯スキー場入口まで徒歩で戻る形となり、さらに30分のタイムロスを発生させた。

リフトを利用して先に進もうとしたが、当時は4本あるリフトのうち2本(2本目と4本目)が強風で停止しており、メンバー7人は動いていた1本目と3本目リフトに乗り、止まっていた区間は標高差約200mの急な坂道をスキー板で1km以上歩いて登山口へ向かった。このため、7人は3本目のリフトを降りたあと4本目に乗らず直接登山口へ向かい、結果として登山者カード提出場所となっている4本目リフト搭乗口を経由せず、登山者カード未提出で入山する形になり、後述の通り、捜索の際の登山ルート等の判明に時間を要することとなった。

このように時間のロスが発生していたが、道中にある設備の整った山小屋「慶応吾妻山荘」を通らず、当初の計画通り、緊急時の避難施設に過ぎない「家形山避難小屋」へ向かうことを優先した。しかも避難小屋に到着後、休息に入るのではなく、すぐに宴会を始め、それを22時まで続けた。

この日の夜、慶応吾妻山荘では、「中国大陸からの雨雲と寒気を伴った強い(急速に発達した)低気圧の接近により、太平洋側で大雪のおそれがある」旨がラジオの天気予報で報じられたことから、管理人は「山は間違いなく大荒れになる」と判断。宿泊客全員に、翌日は下山するか早朝に出発し、天候悪化の兆しが出たら直ちに戻るよう進言した。これを受け山荘に宿泊した全てのパーティーが翌日は下山するか、早朝に出発している。一方、家形山避難小屋のパーティー7人は誰もラジオを持っておらず、慶応吾妻山荘も素通りしたため、天気予報など翌日の天候に関する情報が一切得られなかった。

【2月12日(土)】
天候によっては引き返す可能性があったが、好天だったため朝8時30分に出発。しかしこれは擬似好天だった。出発が遅かった上に普段より雪が積もっており、予定より2時間以上遅い正午に白浜尾根へ到着。穏やかだった天候は午後から急変。2㎞先の山形県側にある霧の平を目差すが、分岐点の杭を見つけられないまま彷徨。この間、スキー板のクライミングスキン(シール)が剥がれるメンバーが続出。その際、剥がれたシールを粘着テープで留める応急処置は1人あたり10~20分を要し、その間、他のメンバーは猛吹雪の中で待たされ、体力を消耗させた。

【以下略】

吾妻連峰雪山遭難事故  Wikipediaより